私の父親は京風庭園の造園家をしていました。
私も幼い頃から造園という文化に触れる機会が多く、父親の仕事を手伝っていました。
しかし、違う世界にも興味を持ち、家業を継ぐことに抵抗がある時期もあり、まったく違う職業も経験しました。
それでも造園家になるに至ったのは、庭という文化が非常に面白かったからです。
庭石を一つ置くにも信仰思想が関係していたり、中国の陰陽五行の歴史が関係していたりと、非常に奥が深い。
日本の伝統文化や歴史に関わり学ぶ中で、お客様との関わりも深くなってゆきました。
私の説明や話に耳を傾け、「君に設計を任せる」とおっしゃっていただくことは、単なるデザインだけでは終わらない作品を提案するきっかけになり、この仕事は文化として残るものづくりであると感じました。
お客様との深い関わりが、会社の跡を継ぐ決意へと導いてくれたように思います。
そうですね。ニーズが多様化する現在では、多くのお客様の声にお応えするため、イングリッシュガーデンやモダンガーデン、そして外構やエクステリアも学んでいます。
造園家は建物を含めた全体の空間構成を考える造形作家としての側面を持っています。
イメージが先行してゆく流動的な情報化社会の中で、時代が変わっても残る作品を造るには過去から現代までのアーティストから多くの影響を受ける必要があると思います。
造詣の深さが多様性に富むデザインを生み出すのです。
現在の建築業界では建物先行で設計を進める事が当然ですが、無機質な建造物になりがちですね。
建物をより活かすためには外構や庭をどのように見せるか、または屋内からの景観も考慮して設計をしてゆく必要がありますね。
庭園を造れなければ、外構も考えられませんし、外構を造れなければ、庭園も考えられないように思います。
ものづくりには多くの決まりごとがあります。
例えば、茶庭に使われる飛石と飛石の間隔はどのようにして決まっているかご存知ですか。
飛石の幅は着物で歩く事を想定しています。草履が乗る程度の大きさの飛石を使い、間隔は大人の握り拳一個分、そうでなければ着物の裾が開いてみっともないのです。
イングリッシュガーデンは基本的には現地で調達された草花や石で構成されています。
自然にある物を美しく配植してゆく、草丈の長い花を後ろに、低い花を手前に、花は順番に咲いてゆくように配植する。
背景は樹木で構成して、あたかも林の中にある花畑のように、それでいて人の手が加えられていないように作ってゆきます。
このように、ものづくりの決まり事を学び知っているうえで、土地の形状、地域性、気候風土、機能性などを熟考しながら、お客様の夢の引き出しを開けてもらいます。
空間を構成してゆくには、そこに暮らす人のイメージを私の頭の中に映像として浮かばせる必要がありますから、お客様との対話は非常に重要な時間だと考えています。
また、資源の再生にも取り組んでいて、古くて使われなくなった石材やアンティーク製品を積極的に設計に取り入れています。
あるお客様との出会いです。
今から8年ほど前にご縁があり、大きな庭園の全体改造を依頼していただきました。
すでに出来上がっていたすばらしい庭園だったのですが、石組に間違いがありました。
私の説明に、熱心に耳を傾けていると思ったら、話終わりに、「よし!全部作り変えよう!」とおっしゃったのです。
なんとも気持ちの良い潔さでした。
そのご縁から、今度は世界遺産である吉水神社の宮司様との出会いがあり、桃山時代の庭園復元工事を依頼されました。
大阪府警に務め、定年後に宮司に成り、今では多くの人に人生を説いておられるそうです。
お二人との交流でプライベートでは24時間で100kmを歩くという精神修行に参加させていただいたり、会社のイベントにお招きいただいたりと公私共のお付き合いで長きに渡り、人間学を教わっています。
また、子供が誕生したことも大きなターニングポイントです。
今までは、認識していても行動してこなかったことに挑戦するようになりました。
私は奈良県に住んでいますが、地域の環境問題や産業の問題、治安や文化の伝承など、気になってはいても、いつも仕事を優先していました。
しかし、娘が生まれてからは娘の生きてゆく地域社会に自分が参加して、できるだけ良い方向に変えてゆこうと思うようになりました。
思ったならば行動しなければならないと、奈良県主催の地域活性化塾に1年間通いました。
今では沢山の地域を考える人と仲間になることができ、まずは地元の活性化を呼びかけてアートイベントを企画しています。
やはり人間は、人間との出会いで大きな心境の変化が起こるのだと思います。
取材・文:アコーダー㈱ 西川雄太